学校へ行かない選択もある。不登校の当事者が作る新聞                                     (NPO法人 全国不登校新聞社 )

 

不登校という嵐の中にいる親と子が冷静になるきっかけをくれる新聞

 

 子どもが学校へ行かなくなると、どうして親はおろおろしたり、怒りを感じたり、嘆いたりするのだろうか。みんながみんなではないにしても、私が取材した限り、ほとんど親が平静ではいられなくなる。

 そもそも、私自身がそうだった。自分は、子どもが学校へ行かないくらいで動じないと思っていた。知り合いから、「子どもが学校へ行かなくなった」と相談されたときも、「それは、お子さんの感受性が豊かだからですよ。心配しないで、逆に、そういう感性があることを喜ばないと」などと、言っていたものである。しかし、いざ、長女が泣きながら、学校で嫌がらせをされていることを打ち明け、学校へ行きたくないと訴えたとき、これからどうすればいいのか、頭の中が混乱し、さまざまな感情が湧き上がってきたものだ。きっと、うちの娘も感受性が豊かなのだろうというところまでは考えられたが、それを飲み込む勢いで、不安が広がってきたのだ。

 幸い、長女は不登校を体験した子でも入れるようにと都が設置した三部制のチャレンジ校へ入り、そこで見違えるような楽しい高校生活を送っている。結果オーライではあるが、あのときの自分の慌てぶりは、自分を見つめる上ですごく大事なことだったし、あの数年間の葛藤があったことで、考え方の幅が広がったのは間違いない。今から振り返ると、貴重な気づきのチャンスをいただいたと、感謝できるようになった。

 そんな体験をしているので、今回のNPO法人全国不登校新聞社の取材は、楽しみで仕方がなかった。取材に先だって、不登校新聞社が発行する「Fonte」という新聞を取り寄せた。最初に目がいったのは、親シンポジウムの抄録だった。不登校の親の体験者としては、どうしても親の気持ちに興味が向く。

名古屋市に住む弁護士さんは、1985年に小6の長男が不登校になったときの心の葛藤を語っていた。当時、裁判官をしていて多忙な日々。仕事のこと、長男のことでストレスも大きかったのだろう、毛細血管が破れ、胃腸や肝臓から出血する原因不明の病気になり、入院することになった。そのとき、もう自分はダメかもしれないと思い、長男に手紙を書いたと言う。「お父さんはこんなに頑張っているのに、お前はなにを学校ごときでくじけて」という恨み言を綴った。子どもの不登校は、体を壊すほどのストレスになる。子どもをがんばれない子だと情けなく思ってしまう。これは、ほとんどの親に共通する思いではないだろうか。特に、自分ががんばって生きている親ほど、そう思うものだろうと、自分の体験と重ね合わせながら読み進めた。

 自分自身、死ぬかもしれないという体験をしたことで、その弁護士さんは大きな気づきを得て、彼の家庭内で修羅場は解決に向かっていく。彼の気づきを一言で言えば、「子どもの尊厳を守ること」だと、弁護士さんは言う。「学校に行かないことも含めて、自分なりの生き方をしている。いま生きていることに親は自信をもっていいと思うんです。そう思うことも、子どもの尊厳を守ることです」と考えられるようになってから、長男の不登校との接し方が大きく変化したのだと語っている。

 冷静になって子どもの立場に立って考えれば、彼らが学校へ行けないことに平気でいるわけではないことが見えてくる。我が家の場合でも、朝になるとお腹が痛くなって学校を休む日が続いた。昼ごろまで寝ていて、ケロッとして起きてきてはパソコンの前に座ってげらげら笑っている。そんな姿に、親は腹立たしい気持ちになってくる。そして、「明日は行けよ」と言えば、「うん、わかった」と答える。しかし、翌朝はまたお腹が痛くなるという繰り返しだった。お腹が痛いのは決して仮病ではない。学校へ行かなければと思うと本当に痛くなるのだ。長女は、当時のことをこんなふうに振り返ってくれたことがある。

「夜になると、明日もお腹が痛くなったらどうしようかと不安になる。不安になると眠れなくなる。だから、いつも朝方まで眠れなかった。朝、起きるとやっぱりお腹が痛くなって、お父さんやお母さんに何て言われるか、とても不安だった」

 学校へ行けない子たちの心の中は、不安であふれている。親は、ついつい、「学校へも行かない子はロクな大人になれない」といったことを言って、子どもの不安を増長させてしまう。親も不安、子どもも不安。家庭が不安であふれ、ちょっとしたことで、大きなトラブルへとつながっていく。

 今なら言える。「学校へ行かないくらい大したことではない」と。しかし、その真っただ中にいる人は、大きな渦の中で目を回してしまって、冷静な気持ちになれないのも現実なのだ。

 この新聞は、嵐の中にいる人たちにとっては、ひとつの羅針盤として、冷静になれるきっかけをくれる。そう感じたのが、私のこの新聞を読んでの第一印象だった。


命をかけて、犯罪を犯してまでも学校へ行きたくない子がいる

 

 不登校新聞社を東京都北区王子に訪ねた。京浜東北線の王子駅から歩いて5分ほどだろうか。東京シューレというフリースクールの中にあった。フリースクールの先駆けとも言える団体で、創立が1985年というから、30年近く不登校問題とかかわっている。不登校新聞社は、東京シューレの創立者である奥地圭子さんが、不登校に関する情報を発信し、不登校という嵐の中にいる親や子が体験を共有できるようにと立ち上げたものだ。創立が1998年。月に2回発行されている。

 お話を聞かせてくだれたのは、不登校新聞社の代表理事であり東京シューレの代表でもある奥地さんと、Fonteの編集長である石井志昴さん。

 まずは、冒頭の私の疑問。子どもが学校へ行かなくなると親はどうして平静でいられなくなるのか? という質問から話を始めた。

「親の価値観でしょうね。子どもを育てるのは学校のみで、外れたら人生おしまいみたいなふうに考えてしまっているから、いざ、子どもが学校へ行かなくなると、行き詰ってしまいます。

 育て方が悪かったと、自分を責める親も少なくありません。最近では、おじいちゃん、おばあちゃんが、孫の不登校で悩んで相談に見えることが多くなりました。自分が、息子さんや娘さんの育て方を間違ったから、孫が不登校になったと思い悩んでいる方も少なくありません。

 学校へ行かないことは悪であるという価値観が染みついてしまっているから、そんな悩みが出てくるのです。育て方が悪かったということは、お子さんもお孫さんも、失敗作ということになります。学校へ行かないだけで失敗と決めつけられては、お子さんもお孫さんもたまりませんよね」(奥地さん)

 学校へ行って当たり前という価値観は根強いと思う。こうした価値観を打破しないと、親も子も苦しむばかりだ。Fonteが創刊されたのも、そうした背景があってのことだった。

「何か、不登校に関するメディアが必要だと思ったのは、19979月です。9月というのは、学校へ行くか行かないかで悩んで自らの命を断つ子どもが多い時期です。97年には、静岡の子が鉄道自殺をしました。淡路島では焼身自殺をした子がいました。筑波では、学校が燃えてしまえば学校へ行かなくていいという理由で中3の子が学校に放火しました。命をかけ、あるいは犯罪を犯してまで学校に行きたくない子がいるという事実に直面し、学校が嫌だったら休んでいいんだよ、学校以外の場所もあるんだよ、ということを知らせていかないといけないと痛感しました。不登校の子ばかりではなく、学校へ行っている子も、決してルンルンで行っているわけではなくて、苦しんでいる子たちもいっぱいいるんです。親にもそのことを理解してもらいたいと思い、新聞というメディアを使って情報提供をしていこうと考えました。

 また、当時、適応指導教室や相談室、サポート校など、不登校の子の受け皿になるところがどんどんと増えてきて、親はどうしたらいいのか、迷ってしまう状態でした。情報をバラバラではなく、総合的に発信するメディアが必要だと感じていました。

それも、当事者が発信することで、読者との距離も縮まります。ですから、新聞作りにかかわっているのは、不登校体験者や不登校真っただ中の人たちで、当事者の声が乗る新聞ということをモットーにして作っています」(奥地さん)

Fonteは、不登校に関連するニュース、親や子の不登校体験談、奥地さんや当事者のコラムなどから構成されている。読者は、不登校を取り巻く最新の情報を仕入れつつ、学校へ行かない選択もあるという新しい価値観に目覚めていくきっかけとなる。

1面には、不登校に関係する情報が載ることが多いのですが、この新聞ならではの記事を作っています。

たとえば、選挙のときには、各政党に、不登校や引きこもりについてはどう思うか、アンケートを出して、その結果を載せます。選挙演説では、不登校や引きこもりのことは言いませんから、各政党がどう思っているのかわかりません。お父さん、お母さんは、この記事を見て、各政党の考え方を知った上で選挙に行けます」(奥地さん)

学校へ行かないという選択をした子、しようとしている子、あるいはその親は、あくまでも少数派で、なかなか必要な情報を得ることができない。Fonteから得られる情報は、自分たちの方向性を決めることにも、選択した方向が間違ってなかったという自信をもつことにもつながっていく。不登校で悩む親や子にとって、砂漠の中のオアシスとなりうるのだ。


不登校の当事者が作る新聞。編集長も中2のときから不登校

 

この新聞の説得力の源は、奥地さんも少し触れてくれたが、当事者が作っているというところにある。15歳から31歳のメンバーからなる子ども若者編集部が企画し取材して作るページがある。彼らは、不登校の子どもたちとより近い年齢で、同じような思いをもつ仲間であるだけに、その記事や体験談は、当事者ならではの臨場感がある。具体的な生の声が反映されているので、読む側にとっても、心に響くものがある。

編集長の石井さんも不登校体験者。自分の体験をもとに、何を発信していけばいいか、日々模索中である。現在31歳。中学2年生のときに不登校になった。

「中学受験に失敗し、公立の中学校へ入りました。そのストレスもあったでしょうし、校則がとても窮屈で、学校へ行きたくないという気持ちが膨らんできました。学力も、中1のときはトップクラスでしたが、どんどんと落ちてきました。

 あるとき、どうしても我慢ができず、5~6人の仲間と授業中に学校を脱出しました。そしたら、先生が車で追いかけてきました。そのとき、どこまで学校に管理されないといけないのかと、つくづく思いました。

 親に泣きながら、行きたくないと訴えました。親もしばらくは混乱したみたいですが、行かないことを許してくれました。それで、東京シューレにお世話になりました。ここは、まったく環境が違って、のびのびと生活することができました。自分の意思がとても尊重されて、学校へ行っていたときには、勉強にも無気力で、生活も退廃的な方向に向かっていたのですが、自然に方向が変わってきました。Fonteにも、16歳くらいからかかわっています」

 東京シューレでは、何がやりたいかが尊重され、たとえば、コロッケ100個食べたいと言えば、それに挑戦させてくれる。道で棒を倒して、倒れた方向に歩いていくと、一日でどこまでたどりつくかという、一般的な大人の感覚からすれば無意味なことも、面白いと認めてくれるのだそうだ。石井さんも、沖縄の三線に魅せられ、沖縄ツアーを企画したことがあったと言う。もちろん、シューレではそれを応援してくれた。

「あのときに、レポートを作って旅行の報告をしてくれました。それを見たとき、彼には新聞を作るという仕事が向いているのかと思いました」(奥地さん)

 決まりきった枠の中ではなく、自分がやりたいことをやってみることの中から、その人の得意なことが見えてきたりするものだ。今の学校教育では、勉強がもっとも優先されることだし、どんなこともまんべんなくできることを求められ、苦手なことにもエネルギーを注がないといけない。ときには、不得手なことに挑戦する必要もあるだろうが、やりたいことをやる一つの段階として得意でないことに挑戦するような形でないと、モチベーションは上がらない。やらされているという感覚が募っていって、どんどんと、学校が嫌になってしまう。

「不登校新聞社では、フェイスブックページを作っていますが、それを管理してくれているのは、ずっと引きこもっていて、仕事もしていない人です。

 パソコンの仕事なので引きこもっていてもできますし、打ち合わせは、スカイプを使ってやっています。

 今は、引きこもりでも仕事ができますし、パソコンが得意なら、そういうスタイルの仕事だってあっていいと思います」(石井さん)

 不登校という現象の裏には、子どもを巡るさまざまな問題が横たわっている。まずは、いじめの問題がある。親にも子にも、学校へ行かなくていいという選択があればどうだろうか。いじめられて死にたくなるようなところにはだれも行きたくないはずだ。どうして学校だけは行かなければいけないのだろうか。いじめられながらも通い続けるうち、大変な悲劇が起こってしまうこともある。

 今、盛んに言われている発達障害という問題もある。彼らは、今の学校生活にはうまく適応できないため、学校へ行きたくなくなる。得意なものを伸ばしてあげるという教育だったらどうだろうか。どんなすばらしい才能が芽吹くかわからない。エジソンやアインシュタインも発達障害だったと言われている。

 今、あちこちで従来の常識の崩壊が始まっている。学校教育もやがては大きく変わるはずだ。その流れに取り残されると、ますます生きづらくなってしまう。自分自身の古い価値観に亀裂を入れるためにも、自分には不登校は関係ないと思っている方も、ぜひFonteを読んでいただければと思う。

 

 

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月刊ハイゲンキ2013年11月号の「行動派たちの新世紀」に掲載したものです。

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