難病を乗り越え理想の医療を目指す~西本真司医師

自分の体で人体実験をしてきたようなもの

 

「くろしお」という特急に乗ると、新大阪から和歌山まで約1時間。和歌山駅からバスで10分ほど。市役所前というバス停で降りると、和歌山城の天守閣が目に飛び込んでくる。その向かい側に市役所があり、市役所の脇の道を少し入ったところに、「西本クリニック」の看板が見える。

 そこの主が、今回の主役・西本真司医師である。西本医師とお会いするのは何年ぶりになるだろうか。ひょっとしたら10年以上のブランクがあるのかもしれない。昔話をする中で、西本医師がこんなことをぽつりと言った。

「私は、自分の体で人体実験をしてきたようなものです」

 西本医師の真氣光との縁は、劇的も劇的、一大ドラマである。そのドラマを振り返ってみると、西本医師が人体実験と言うのもよくわかるはずだ。

 和歌山というと、江戸時代の外科医で、世界で初めてとされる全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲が有名だ。同じ和歌山に住む西本医師が麻酔を専門にしているというも奇遇な縁かもしれない。青洲が全身麻酔薬を完成させることができたのは、実母や妻が実験台になることを申し出てくれたからだった。西本医師は、自らが難病に侵されたとき、真氣光をはじめとした自然療法によって、見事に回復した。人体実験というふさわしい壮絶な体験だった。その体験をもとに、同じような病気で苦しむ人たちに対して、医師として治療をし、アドバイスをし、健康を取り戻させているのだ。真氣光の根本的な考え方である「マイナスをプラスに変える」というお手本にもなれる人である。

 その西本医師の苦難の物語から話を始めていきたい。

 19901218日のことだ。当時、西本医師は熊本赤十字病院に麻酔科医として勤務していた。連日の手術、論文の執筆と激務が続いていた。その日も心臓の手術で麻酔を担当した。麻酔の仕事を終えた西本医師は、急に激しい腹痛に見舞われ、トイレへ駆け込んだ。ひどい下痢だった。それも血便。ひょっとしたら・・・と不安が頭をよぎった。しかし、疲れたからに違いないと、頭で不安を打ち消した。この日は、大好きだった祖母の命日だった。あとから考えれば、祖母からの重要なメッセージがこの血便だったのだろうと、西本医師は言う。

 その後、腹痛、下痢、血便は徐々に悪化していった。そして、検査を受けた結果、「潰瘍性大腸炎」と診断されたのだ。

「潰瘍性大腸炎というのは、大腸の粘膜に炎症ができる病気で、厚生労働省の難治性疾患に指定されています。しかも、私の場合は、潰瘍性大腸炎の中でももっとも重症な、大腸全体に炎症が起こる『全大腸炎型』でした」(西本医師)

 


ビデオから氣が出るというのにびっくりの真氣光初体験

 

 潰瘍性大腸炎は一般的には治らない病気とされている。西本医師も、内科の医師から、「99999%完治はしない」と宣告されたそうだ。そして、西本医師は19911月から3月まで熊本日赤病院に入院することになった。完治しない病気だから、治療としては一時的に症状を抑えることしかできない。ステロイド剤が使われることになるのだが、西本医師は「ステロイドだけは使いたくない」と、担当医に強くお願いし、それを聞き入れてもらった。そうなると、入院中の治療は、腸の炎症を抑える薬の服用と栄養療法くらいである。そこで西本医師は自律訓練法という高校時代に先生から教えてもらった自己暗示療法を行った。何かひらめくものがあったのだろう。さらに、たまたま目について購入した氣功の本を読み、仙道気功の腹式呼吸を始めたのだ。医師でありながら、西洋医学の治療法よりも、東洋的な方法に周波数が合っていたのだろう。

 退院後、山鹿市立病院に勤務先が変わった。緊急手術が少ない病院ということで、西本医師への負担も少なくなった。そこで、西本医師は、運命的な情報を、入院していた患者さんからもらうことになる。真氣光の移動クリニックのチラシを見せられたのだ。最高のタイミングでの真氣光の登場だ。難病を抱え、氣功に興味を持ち始めていたころに、ぱっと目の前に現れたのが真氣光だったわけだ。しかし、会場へ行った西本医師は唖然としてしまう。199111月の30歳の誕生日のことである。

「何しろ、ビデオから氣が出るというのですからびっくりしました。まさかそんなことと思いながら、言われるままに目をつむって氣を受けました。そしたら、右腕が反時計回転、左腕が時計回転に腕がぐるぐると勝手に回り出しました。自分の肉体が何かに動かされると、また驚いてしまいました」

 西本医師はハイゲンキを購入し自らの治療を始めた。そのころ、腸の炎症を抑える薬を飲んでいたが、それを飲まずにすませたいというのが、西本医師の次のテーマとしてあった。彼は、ハイゲンキ治療を続けながら、1錠、2錠と、徐々に薬の量を減らしていった。そして、2週間目でついに薬と縁を切ることができたのだ。19923月には下田で行われていた研修講座(当時は、『医療氣功師養成講座』と言っていた)に参加し、氣功師の認定も受けた。

 病院でもハイゲンキを使った治療が許され、それが大人気となる。がんの患者さんに真氣光の治療を行うようにもなった。さらに、データをとって、ハイゲンキの効果を学会でも発表した。20年も前のことである。氣に対する理解は今とは比べ物にならない。かなりの反発もあった。それでも、ドン・キホーテのごとく、自ら信じることを、勇気をもって発信し続けた。帯状疱疹の痛みがハイゲンキで良くなった症例、ハイゲンキによる痛みの変化、ハイゲンキと外氣功でリウマチ因子が低下した例など、次々と発表している。氣の医学の歴史に残すべき偉業だと思う。

しかし、一生懸命になればなるほど、結局、体を酷使し、ストレスをためることになってしまった。そして、また激しい腹痛と下痢に見舞われてしまう。奇しくも19921218日。祖母の命日だった。

 19931月に再入院、3ヶ月後に退院した。この入院期間中、西本医師は不思議な体験をしている。

「症状がもっとも重いときでした。寝ていると体がぽわんと浮いたようになって下を見ると、自分が寝ているのが見えました」

つまり、臨死体験をしたのだ。魂となって、西本医師はあちこちを飛び回ったそうだ。そのときにメッセージをもらった。「人の体だけでなく心や魂まで見つめるホリスティック(全人的)な医療が将来必ず必要とされる」「67年後に発表できる場が用意されているから、その体験をだれにも語ってはいけない」「また何度か潰瘍性大腸炎の症状が悪化することがあるが、必ず乗り越えられる」の3つである。

退院後3か月後には、メッセージ通りに再び発症。症状はこれまでで最悪だった。にもかからず、入院もせず、薬も飲まず、真氣光と自律訓練法と呼吸法と、ほとんどそれで乗り切ってしまった。このときに、「自分の体を実験台にして、薬なしで乗り切ってやろう」と決断したと言う。命をかけた挑戦だ。臨死体験とそのときのメッセージが、西本医師の大きな支えになっていたのだろう。

次がその3年半後の971月。症状はさらに激しくなり、このときはステロイド剤を使うことになった。

「このとき、ステロイド剤を使ったことで、症状はそれまでとは比べ物にならないくらい速く改善しました。それがきっかけで、西洋医学を頭から否定するのではなく、それぞれの治療法の良い点、悪い点を知った上で、自分に合う治療法を選択することが大切だと考えるようになりました」

 またまた、新しい気づきを得ることになったのである。

 しかしながら、まだ試練は続く。1998年長野オリンピックを西本医師は病院のベッドで観戦することになってしまったのだ。

「このとき、患者のもつ不安というものに意識を向けることができました。自分自身が何度も患者を体験して、担当医との間に見えない壁を作ってしまって不安を感じていたことに気づきました。そのことに気づいて、自分は医師として、患者さんとの間に壁を作らないようにしないとと思うようになりました」

 これでもかこれでもかと、西本医師は潰瘍性大腸炎に痛めつけられるのだ。しかし、そのたびに、彼は新たな気づきを得て、医師として脱皮していく。肉体を診るだけの医師ではなく、心も魂もケアできる医師になるには、これだけの苦行が必要だったのだろう。その苦行も終わった。98年以降、潰瘍性大腸炎が発症することはなくなったのだ。それからもう14年にもなる。


患者さんとの壁をなくし信頼関係を築くことで自然治癒力を高める

 

 改めて西本医師の最初の発病である90年から最後の発病となった98年までを振り返ってみると、よくぞ耐え忍んだものだと胸が熱くなってくる。乗り越えられないハードルはないんだと、先代・中川会長がよく言っていたが、どんなことがあってもあきらめることなく、笑いを忘れず、前向きに進んできた西本医師の姿勢は、病気ばかりではなく、生きるのが苦しくなったときには、ぜひ思い出したい。

 現在、西本医師は、専門である痛みのコントロールをメインにしながら、自然療法による健康教室を開き、地域の人たちの健康に寄与する活動をしている。

9時から12時半と、午後の3時から4時半は、痛みの治療を主にやっています。西洋医学の治療のほか、針治療やハイゲンキ治療も行います。

 その間のお昼や終わったあとに、健康教室をやっています。太極氣功18式や希望者がいれば外氣功もします。第二木曜日は、初心者の方を対象に氣の話もしています。

 音楽療法として、みんなで歌を歌ったり、ギターの弾き語り、参加者全員でのベルの演奏、フランダンスを踊ったり、楽しく騒ぐ過ごす時間も作っています。断食もときどきやります。近所にあるホテルに泊まってもらって、健康のことなどをみんなで話し合いながら、きつくない断食をやっています」

 健康教室では、西本医師が最後の闘病のときに気づいた「医師と患者の壁をなくす」ということも意識しているのだろうと思われる。音楽療法では、西本医師も必ず歌を披露する。もともとコーラス部で、歌には自信のある西本医師だから、きっと患者さんには好評だろう。指導するということではなく、自分も一緒になって楽しむ時間というのが、そこではもたれているのではないだろうか。癒し癒される関係が、医師とか患者という立場を超えて成り立っているのだ。

 そういうオープンな態度が、信頼関係のもとにもなっているのだろう。

「患者さん一人ひとりとの信頼関係が自然治癒力とかかわってきますから」

 というのが、西本医師の患者さんと接するときの基本姿勢だ。

 西本医師は、自らの闘病体験と、その体験をもとにした治療の実績を、「潰瘍性大腸炎が治る本」「潰瘍性大腸炎 医師も患者もこうして治した」(ともにマキノ出版)という2冊の本にまとめている。その本を読んで、全国から、潰瘍性大腸炎で苦しんでいる人が相談にやってくる。

 いずれは腸の全摘をしないといけないと言われていた患者さんが、氣功や太極拳、呼吸法、サプリメント、食事などの指導によって、治癒してしまったという症例も、決して珍しくない。医師に依存しがちな患者さんに、治すのは自分であるということをしっかりと意識させ、受け身ではなく自らがすすんで治療に取り組んでいく姿勢をもたせることも重視している。西本医師の一言一言は、自分が体験してきたからこそ、説得力を持って患者さんに伝わっていくのだ。

「私が言うばかりではなく、ホリスティックネットワークというのを作って、みなさんに意識を高めてもらおうと、年に4回のイベントを開催しています。3回は講演会。龍村修先生には毎年来ていただいています。10月には、毎年天河の弥山に登っています。

 東京や大阪では大きな会がありますが、和歌山からではなかなか行けない人も多いので、こちらでやろうと思って立ち上げました。11年目になります」

 あの手この手で患者さんに気づきを促していく。精力的な活動ぶりには頭が下がる。

 最後に、非常に感動的な症例を紹介しておきたい。

 7年前の話だ。患者さんは24歳の女性。子宮がんで限りなくクロに近いグレーという診断。病理組織診断5期、HPV陽性で、大きな病院の医師からは全摘をした方がいいと言われた。でも、まだ24歳である。なかなかその決断はできないだろう。本人も、将来は子どもを産みたいので、子宮は残したいと希望があった。相談を受けた西本医師は、本人の意志を尊重し、自然療法を提案する。

「子宮頚部円錐手術と言って、部分的な切除の方法があります。それができる病院にも話をつけ、その手術も視野に入れながら、自然療法をやることにしました。

 そのためには、まず本人が納得することが大事です。本人だけでなく家族も納得しないとできません。さらに、主治医も、私が全面的に責任を取ると言わないと納得しません。私にとっても、非常にリスクの高いことです。ですから、氣功も呼吸法もしっかりとやることや、たばこやお酒をやめ、食事を含めた日々の生活をただすことも、お互いに確認し合いました。彼女は、それをしっかりと守ってくれました。手術をすることなく、がんは消えてしまいました。その後、結婚して、今は子どもが3人います」

 わずか数行で説明したが、実際は、さまざまな葛藤があったはずだ。西本医師も患者さんも家族、迷ったり悩んだりの繰り返しだったに違いない。しかし、苦難を乗り越えたことで、西本医師には覚悟と自信が根付いていった。その結果のうれしい結果だったのではないだろうか。

 西本医師はこの女性の症例をもとに、こんな話で締めくくってくれた。

「彼女の両親もおじいちゃんもおじさんも、みんながんでした。がん家系なんですね。だから、がんの遺伝子はあるのでしょう。これまでは、がんの遺伝子があればがんになると考えられていましたが、遺伝子はすべてを決めるわけではありません。がんの遺伝子があっても、そのスイッチがONにならなければがんにはなりません。遺伝子のスイッチのONOFFを決めているのは、環境とか意識だと、最近では言われるようになりました。真氣光にも遺伝子に働きかける力があると思います」

 名医たるもの、患者さんの環境や意識を変えるだけのものをもっていないといけない時代になっていく予感がする。


*クリニックのプログラムについては、2012年のものですので、現在のものは、クリニックにご確認ください。また、潰瘍性大腸炎に関する西本医師の著書は、現在3冊です。3冊目のタイトルは「潰瘍性大腸炎は自分で治せる」(マキノ出版)です。


西本クリニック

640-8151和歌山市七番丁16 和一ビル2F

0734281220

0734280949

http://home.att.ne.jp/surf/nishimoto/

 

月刊ハイゲンキ2012年4月号の「行動派たちの新世紀」に掲載したものです。

月刊ハイゲンキは、真氣光の㈱エスエーエスが毎月発行している会報誌です。

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